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写真上は イギリス人建築家ジョサイア・コンドルにより設計されたイタリア・ルネサンス様式の洋館・旧島津公爵邸の正面です。 同邸は 現在 清泉女子大学本館になっていますが 事前申請すれば邸内を見学できるというので 11月5日に見てきました。 旧島津公爵邸(品川区東五反田)の歴史をひも解くと 仙台伊達藩の藩邸が明治6年(1873年)に島津氏の下屋敷になり 島津氏30代当主・島津忠重(1886年-1968年)の時に 英国人ジョサイア・.コンドルに設計を依頼し 島津公爵「袖ヶ崎邸」として大正4年(1915年)に完成し 大正12年(1923年)の関東大震災後は島津公爵本邸になっています。 ジョサイア・.コンドルに設計を依頼した島津氏30代当主・島津忠重の2代上が島津斉彬(1809年-1858年)で 斉彬の養女が徳川幕府13代将軍・家定の正室になった天璋院篤姫(1836-1883)です。 篤姫は 仙台伊達藩の藩邸が島津氏の下屋敷になった時(明治6年)に未だ存命中だったので 島津氏の下屋敷があった場所(現在の清泉女子大学敷地)を訪ねたことが恐らくあったのでは思いましたが 確認できないままでした。 そんな時に 宮尾登美子著「天璋院篤姫」(講談社文庫)を読んでいたら 下巻のP384に「東京の島津家とも今は気軽く親密なゆききをしており・・・・・」という箇所があり 訪ねていたことが判明しました。 見学時に案内役の女子大生が建物と歴史について詳しい説明をしてくれたので 旧島津公爵邸の建築主は島津忠重と分かりましたが そこに島津斉彬と天璋院篤姫を位置付けるとどうなるのか恥ずかしくて質問できなかったので 帰宅してから調べたところ 上記のような状況と分かりました。 島津公爵邸は 第二次世界大戦中に島津氏から日本銀行に売却され 戦後 GHQの管理下に入り駐留軍の将校宿舎として使用されますが 昭和36年(1961年)に日本銀行から土地と建物を清泉女子大学が購入すると共に 大学所在地を横須賀から移しています。 ジョサイア・コンドル(Josiah Conder 1852年-1920年) は 明治10年(1877年)に日本政府のお雇い外国人として来日し 辰野金吾ら創生期の日本人建築家を育成すると共に 鹿鳴館 宮内省本館 ニコライ堂 旧岩崎邸 網町三井倶楽部 旧島津公爵邸 旧古河邸などの著名な建物を設計しましたが この内 鹿鳴館を除く建物は現存しています。 私は現存する建物をこれで全て見たことになりますが 庭を含めた建築物としては 網町三井倶楽部がベストと思います。 旧島津公爵邸は建物だけでなく 庭園も見事ですので 一見に値すると思います。 女子大構内の中に大手を振って入ったのは今回が初めてであり 女子大生の気分にもなれた?ので 私には得がたい経験でした。 旧島津公爵邸内見学は夏期・春期休業期間と繁忙期等を除き 月2回(年12回)一般公開されています。 庭園から見た旧島津公爵邸のベランダ 正面玄関のステンドグラス。 丸の中に十が入っているマークは島津氏の家紋 1階の中央ホールから2階に上がる階段 庭にある推定樹齢200年のホウ(楓)の木。 別名は「高尾もみじ」 |
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| タイトル (本文) | ブログ名/日時 |
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| 内 容 | ニックネーム/日時 |
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白像さん |
へそまがり 2008/11/17 10:58 |
へそまがり様 |
白象 2008/11/17 15:38 |
はじめまして、neriko ともうします。 少し前に島津邸が映り、素敵な外観に検索をかけて、ヒットしたのが、白像さまのブログです。 |
neriko 2009/01/02 00:08 |
neriko様 |
白象 2009/01/02 08:09 |
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