白象の気まぐれコラム

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zoom RSS 京都市街の最北にある鞍馬寺〜貴船神社を歩き牛若丸(源義経)を想う

<<   作成日時 : 2015/05/28 07:02   >>

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京都御所を見学してから市バスで「出町柳駅」へ行き 叡山電鉄で30分の終点「鞍馬駅」にて降り ケーブルカーを利用せずに 鞍馬寺仁王門(山門)→鬼一法眼社→由岐神社→鞍馬寺本殿金堂→奥の院(魔王殿)→鞍馬寺西門→貴船神社→(路線バス)→叡山電鉄「貴船口駅」の如く歩きました。

冒頭の写真は 鞍馬寺仁王門で 本殿金堂との標高差は160mあります。 仁王門から本殿まで約1km続く鞍馬の九十九折参道のことを 清少納言は『枕草子』の中で「近くて遠きもの」と記したそうです。

鞍馬寺は 宝亀元年(770年) 鑑真和上の高弟・鑑禎が毘沙門天を祀ったことに起源しており 牛若丸が幼少の頃を過ごしたことや鞍馬天狗から剣術を習ったという伝説などで知られています。 私の頭の中を整理するために 鞍馬寺と源義経の係わりを 以下の如くまとめてみました。

平安時代末期の平治元年(1160年)に政変「平治の乱」で勝利した平清盛は 敗死した敵将・源義朝の遺児・頼朝を助命し伊豆へ流罪とする。 頼朝の異母弟で生後間もない義経(幼名・牛若丸)は母・常盤と共に大和国(奈良県)へ逃れる。 牛若丸は11歳の時に常盤が再嫁した公卿・一条長成の伝(つて)で鞍馬寺に預けられる。 やがて僧になる事を拒否した牛若丸は 16歳の時に鞍馬寺を出奔し、自らの手で元服を行い 一条長政の親類・藤原秀衡を頼って平泉へ下る。 治承4年(1180年) 兄・源頼朝が伊豆国で挙兵すると その幕下に入ることを望んだ義経(22歳)は、兄のもとに馳せ参じる。

源義経の幼少期は 「平家物語」や「平治物語」や「義経記」などの軍記物に諸説があるので 真相は不明ですが 上記にまとめた如く私は理解しました。 平清盛が源頼朝を助命したのは 父忠盛の後妻で清盛の継母にあたる池の禅尼が重盛を介して嘆願したからというのは 史実ですが 牛若丸を助命したのは 母・常盤が平清盛の妾になったからというのは フィクションのようです。

本殿金堂から奥の院(魔王殿)までの山道は 牛若丸が兵法を修行した場所と言われており 牛若丸ゆかりの史跡が色々と残されていました。

奥の院(魔王殿)から鞍馬寺西門を経由して貴船神社までは下り道で 鞍馬寺仁王門から貴船神社まで約2時間のハイキングを楽しみました。

貴船神社は 京都の水源を守る神様として鴨川の上流・貴船川にあり 全国に約450社ある貴船神社の総本社だそうです。
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鬼一法眼社。 牛若丸に兵法を授けたと言われる武芸の達人・鬼一法眼を祀っている

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由岐神社。 鞍馬一帯の氏神を祀る古社で 毎年10月に京都三大奇祭の一つ「鞍馬の火祭」が行われる

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由岐神社

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鞍馬寺本殿金堂

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本殿金堂前にある翔雲台。 平安時代より鞍馬寺に伝えられた如法写経会の経巻を埋納した経塚の蓋石。 遠くに比叡山が見える

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奥の院(魔王殿)

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貴船神社の鳥居

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貴船神社の参道

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