白象の気まぐれコラム

アクセスカウンタ

zoom RSS 日本最古の飛鳥大仏を本尊とする飛鳥寺と入鹿の首塚を訪ね蘇我一族全盛の飛鳥時代を想う

<<   作成日時 : 2015/07/13 06:55   >>

なるほど(納得、参考になった、ヘー) ブログ気持玉 3 / トラックバック 0 / コメント 0

画像
吉野山から京都駅へ戻る途中で「橿原神宮前駅」にて降り 飛鳥寺を初めて訪ねました。 冒頭の写真は 日本最古の金銅釈迦如来・飛鳥大仏(高さ約3m)で  蘇我馬子が蘇我一族の氏寺として創建した飛鳥寺の本尊として609年に造らせたものです。 

日本最初の寺・飛鳥寺は その後 何度も大火災で焼失し 現在の伽藍は江戸時代の1826年に再建されたもので 本尊である飛鳥大仏はそれまでに何度か雨ざらしのままになったものの昔のままの姿を残しているそうです。

飛鳥時代(593〜710年)は 飛鳥(現在の奈良県明日香村)に朝廷(都)が置かれていた時代で 推古天皇元年(593年)に聖徳太子が摂政になってから奈良の平城京に都が移されるまでの117年間です。 飛鳥時代について私の頭の中を整理するために簡単にまとめると以下です。

飛鳥時代より前に日本では6世紀前半に入ってきた仏教を外国の宗教(邪教)として排斥しようとした豪族・物部氏と積極的に受け入れようとした豪族・蘇我氏の対立があり 物部氏を討って政治の主導権を握った蘇我馬子は自分の娘を推古天皇として即位させ 聖徳太子を摂政に擁立し 蘇我一族の氏寺として飛鳥寺を創建する。 聖徳太子に続き蘇我馬子が626年に死ぬと 馬子の子・蝦夷と孫・入鹿が政治を専横するようになり その横暴な振舞いが政治を混乱させるようになったので 天皇を中心とした中央集権国家をつくるべきと考えた中大兄皇子と中臣鎌足(藤原鎌足)らは宮中(飛鳥板蓋宮)で蘇我入鹿を645年の「乙巳の変」で暗殺し 蘇我蝦夷を自殺に追いやり 半世紀も続いた蘇我氏の体制を滅ぼした。 新たに即位した孝徳天皇は年号を大化と改め「大化の改新」として公地公民などの改革を次々と進めていった。

蘇我一族全盛の時代は 敏達天皇元年(572年)に蘇我馬子が大臣になってから蘇我入鹿が殺害される645年までの73年間で 飛鳥時代前半まで蘇我一族が飛鳥の地で権勢を振るっていたと言えます。 

「乙巳の変」で中大兄皇子が蘇我入鹿の首を剣で打ち落とした場面については諸説があり定かでありませんが 「首が飛んで御簾(みす)に食らいついた」という説があり その模様が江戸時代に『多武峰縁起絵巻』として描かれています。
画像

入鹿の首を剣で討ち落とす中大兄皇子。左上は皇極天皇。 談山神社所蔵「多武峰縁起絵巻」

飛鳥寺の境内を西に抜けたところに「入鹿の首塚」と呼ばれる五輪塔が建てられていました。 直線距離で600mもある飛鳥板蓋宮で切り落とされた入鹿の首がここまで飛んできたそうです。

蘇我氏というと何となく悪者というイメージがありますが 善か悪かは乙巳の変における勝者側の解釈が今日まで引き継がれているので 敗者の入鹿と蝦夷に弁明させれば異なる説明となる筈です。 飛鳥寺を初めて訪ね 豪族・蘇我一族が全盛だった飛鳥時代前半までの半世紀を想いました。
画像

創建当時の飛鳥寺は五重塔を中央に置いた一塔三金堂式と呼ばれる特異な伽藍配置で朝鮮・高句麗の影響を受けたとされる

画像

飛鳥寺入口

画像

飛鳥寺の本堂内は撮影自由

画像

飛鳥寺の本尊は東大寺の大仏より143年も前に造られた日本最古の大仏

画像

飛鳥寺本堂

画像

入鹿の首塚。後方に見えるのが飛鳥寺

画像
入鹿の首塚。 後方に見えるのは入鹿自宅のあった甘樫丘
 

テーマ

関連テーマ 一覧


月別リンク

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!
ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。
→ログインへ
気持玉数 : 3
なるほど(納得、参考になった、ヘー) なるほど(納得、参考になった、ヘー)
面白い

トラックバック(0件)

タイトル (本文) ブログ名/日時

トラックバック用URL help


自分のブログにトラックバック記事作成(会員用) help

タイトル
本 文

コメント(0件)

内 容 ニックネーム/日時

コメントする help

ニックネーム
本 文
日本最古の飛鳥大仏を本尊とする飛鳥寺と入鹿の首塚を訪ね蘇我一族全盛の飛鳥時代を想う 白象の気まぐれコラム/BIGLOBEウェブリブログ
文字サイズ:       閉じる