白象の気まぐれコラム

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zoom RSS 井伊直弼ゆかりの「埋木舎」と「彦根城」を訪ねる

<<   作成日時 : 2016/06/06 07:24   >>

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上掲の写真は 井伊直弼(1815〜1860年)が不遇な青春時代を過ごした質素な屋敷「埋木舎」で 彦根城佐和口御門に近い中堀に面した所にあります。

第13代彦根藩主・井伊直中の十四男として生まれた井伊直弼は 側室の子(庶子)であることもあり 藩主になれる可能性はほとんどなく 長い間不遇の生活を送ることになります。 17歳で父を失ってから300俵の扶持米を与えられ 32歳になるまでの15年間を過ごしたこの屋敷を 花の咲くことのない埋木(うもれぎ)に例え「埋木舎」と名付け 不遇だった当時の心境を 「世の中を よそに見つつも うもれ木の 埋もれておらむ 心なき身は」と詠っています。

この歌は「このまま埋もれたままでなるものか」という意志を示したものです。 この埋木舎で ひたすら文武の修養に励み人格を形成したことが 後の人生を切り開くことになります。 直弼の運が急に開けるのは32歳となる1846年で 世子直元の急逝により、当主直亮の家督を継ぐことになり 1850年に彦根藩主(彦根城の城主)となります。 彦根藩の藩政改革で功績を残し 1858年 徳川幕府の大老に就任 同年 日米和親修好条約を締結します。 これに反発した人たちを弾圧するために 直弼は安政の大獄と呼ばれる粛清を行い 1860年 桜田門外の変で非業の死(享年46歳)を遂げます。

井伊直弼については 「大老として日米修好通商条約締結による開国を断行し日本を救った」という評価がある一方で 「安政の大獄を行い攘夷派のみならず開国を推し進めた開明派まで大量に断罪したため幕府滅亡の遠因になった」という批判もあり 評価の定まらない政治家です。 しかし 勅許を待たずに大老として強権を発動し日米修好通商条約を締結したことが明治政府の開国路線に繋がり 欧米列強の文明を吸収して日本を強い国家にしたことを考えると 日米修好通商条約の締結は 井伊直弼にして初めて出来た英断であり 高く評価されるべきと思います。

彦根城は 関ヶ原の戦い(1860年)の後に 徳川家康が豊臣家を牽制するために築城したもので 約20年かけて1822年に完成しています。 佐和山城・安土城・長浜城・大津城などの石垣や用材が使われており 天守は大津城のものを移築したものです。 彦根城の天守は 姫路・松本城・犬山城・松江城と共に現存する国宝5天守の一つです。

JR米原駅から反時計回りに途中下車しながら琵琶湖を一周する鉄道旅の最後に JR彦根駅から「埋木舎」と「彦根城」を訪ね 井伊直弼の波乱の人生を想いました.。
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彦根駅前に建つ彦根発展の基礎を築いた井伊直政像


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埋木舎

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埋木舎の室内

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埋木舎

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NHKテレビ大河ドラマなどで井伊直弼を演じた役者の写真

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彦根城

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本丸入口を固める太鼓門櫓

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午蒡積(ごぼうずみ)と呼ばれる石垣

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彦根城

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