白象の気まぐれコラム

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zoom RSS 立教大学での公開シンポジウム「明治近代化に貢献したオヤトイ外国人と宣教師」に出席して想う

<<   作成日時 : 2016/12/29 07:16   >>

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立教大学の太刀川記念交流会館にて開催された公開シンポジウム「明治近代化に貢献したオヤトイ外国人と宣教師」に出席しました、 明治初期に日本政府が招聘したオヤトイ外国人と宣教師が日本近代化へどのように貢献したかを 各分野の専門家である女性3人が講演しました。 太刀川記念館は 盛田昭夫・井深大と共にソニーを創業した太刀川正三郎の遺族が寄付して1996年に設立されています。

立教大学アメリカ研究所主催の公開シンポジウムで 学生より年配者が多く出席していました。 私は講演者の一人で大学の専門課程で一緒だった村形明子さんから案内をいただいたので出席しました。

上掲の写真は Fernanda Perroneさんが講演の中で紹介した明治元年の撮影と推定される明治維新の志士たちの集合写真(クリックして拡大視可)です。 この写真は 米国から日本に派遣された宣教師フルベッキとその子供を囲む志士たちで ラトガース大学卒業生で日本滞在経験のある日本学の研究者ウィリアム・グリフィス(1843〜1928年)が著書『Verbeck of Japan』(1900年)の中で「この写真は後に明治政府の様々な部署で影響力を持った人物たちで大隈重信などが確認できる」と説明したそうです。

ウィリアム・グリフィスは ラトガース大学で福井藩からの留学生と出会い親交を結び 明治4年(1871年)に日本に「お雇い外国人」として渡り 福井藩の藩校明新館と東京大学の前身で物理・化学などを明治7年(1875年)まで教え 帰国後に日本を紹介する文筆・講演を行い 1876年に著書「The Mikado's Empire(ミカドの帝国)」を刊行しています。

二番目に講演した村形明子さん(京都大学名誉教授)は 日本におけるフェノロサ研究の第一人者で お雇い外国人として活躍したフェノロサとモース 日本の古美術品収集家ビゲロウの足跡を紹介していました。 アーネスト・フェノロサ(1853〜1908年)は明治11年(1878年)に来日し 明治23年(1890年)まで東京大学で哲学・政治学・経済学を教え 帰国後はボストン美術館東洋部長として日本美術の紹介を行っています。

フェノロサは 廃仏毀釈と西洋文化崇拝という風潮の中で 日本美術を評価し広く世界に紹介したことで知られています。 1884(明治17)年 岡倉天心を助手にして たたりを恐れる寺僧を説得し法隆寺夢殿の救世観音に幾重にも巻かれていた白布を解いたことは有名な話です。

三番目に講演した石井紀子さん(上智大学教授)は 来日した宣教師が日本の女子教育に果たした功績を説明していました。 明治初期に宣教師によるキリスト教のミッションスクールが数多く設立され 日本人をキリスト教徒に改宗させる効果は余りなかったものの 明治維新で没落した多くの士族が子女をミッションスクールに入学させたので 日本の女子教育レベルを高める上で大きく貢献したそうです。

明治5(1872)年に越後長岡藩筆頭家老(稲垣平助)の娘として生まれ自伝的小説「武士の娘」を書いた杉本鉞子について 私のブログで紹介したことがありますが 杉本鉞子も渡米する前にミッションスクールだった青山学院の前身で学んだことを 石井紀子さんの講演を聞き思い出しました。

立教大学の公開シンポジウムで講演した3講師とモデレーターの阿部珠理 さん(立教大学教授)は全て女性であり その博識に驚くと共に 明治近代化に果たしたお雇い外国人と宣教師の功績について認識を新たにしました。

以下の写真は 立教大学公開シンポジムで撮ったものです。
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