白象の気まぐれコラム

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zoom RSS 神の存在を問う遠藤周作原作の映画「沈黙・・・サイレンス」を観て想う

<<   作成日時 : 2017/02/05 06:56   >>

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上映時間2時間42分(トイレタイムなし)の映画「沈黙・・・サイレンス」を観ました。  遠藤周作の原作をスコセッシ監督が映画化したもので 映画は原作にかなり近い内容となっています。

映画のあらすじを簡単にまとめると 以下です。

江戸時代初期 イエズス会の若いポルトガル人宣教師ロドリゴは 恩師であるフェレイラが日本で棄教したという噂の真偽を確かめるためにキリシタン禁制が厳しくし敷かれている九州にマカオから潜入する。 ロドリゴは 潜入を手助けしたキチジロウという隠れキリシタン(信者)の裏切り(密告)により 長崎奉行所に捕えられる。  長崎奉行は 信者を殺しても殉教者が増えるだけで禁教の効果がなく ロドリゴなどの宣教師を棄教させることで 信者に信仰を諦めさせる方針であり ロドリゴが神の存在について疑いを持ち棄教するように仕向ける。 神は沈黙したまま救ってくれないと考えるようになったロドリゴは 拷問を受け続ける信者を救うために棄教して自ら踏絵を踏む決意をする。 その時に 「踏むがいい お前の足の痛さをこの私が一番よく知っている 踏むがいい 私はお前たちに踏まれるため この世に生れ お前たちの痛さを分つため十字架を背負ったのだ」という神の声が聞こえる。 ロドリゴは この声を聞き 神というのは 状況を変え助けてくれる存在ではなく 一緒に苦しんでくれる存在であり それこそが神の教えの神髄ということを初めて理解する。

「どんなに祈っても黙したまま助けに来てくれない神は本当に存在するのか?」という深淵な疑問は キリスト教徒でない私にとっても重いテーマですが 映画を観て 「神は状況を変えるのではなく 一緒に苦しんでくれる存在」という原作者の解釈を少し理解できた気がしました。

イエス・キリストは 生まれながらにして原罪を負う人間に代わって磔(はりつけ)となりましたが ロドリゴが踏絵を踏むという行為はキリストが磔になったのと似た痛みを伴う崇高な行為であり 踏絵を踏むことでロドリゴは神の救いとは何かを初めて知ったということではないでしょうか?

1966年に発表された遠藤周作の「沈黙」は 内外で大きな評価を受けながらも、カトリック教会に否定され、長崎では長い期間にわたって禁書扱いにされたそうです。 カトリック教徒であるスコセッシ監督は 神の存在を問う小説「沈黙」に共感し 映画化したものです。

ロドリゴを裁く長崎奉行・井上筑後守を演じるイッセー尾形の熱演と流暢な英語が米国で絶賛されており この映画の見所の一つになっています。

遠藤周作という作家は 狐狸庵という名でグータラ人間をユーモラスに書く一方で 敬虔なカトリック教徒としてこのような真面目な小説も書いており その落差に驚きます。
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