白象の気まぐれコラム

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zoom RSS 上野三碑の一つ多胡碑(高崎市吉井町)を訪ね日本で文字が普及し始めた最古の時代を知る

<<   作成日時 : 2017/03/27 07:20   >>

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上掲の写真は 上野三碑の一つ「多胡碑」に刻まれた文字で 使われている漢字は現在のものとほとんど変わりません。 群馬県立美術館を見学した時に 上野三碑のレプリカが展示されていたので その内の一つ多胡碑(高崎市吉井町)を訪ねてみました。

上野三碑は 飛鳥・奈良時代に古代上野国(現在の群馬県)に造られた「山上碑」「多胡碑」「金井沢碑」という三つの石碑総称です。 文字を使うことが未だ珍しかった時代に 石に文字を刻んで大切なことを伝えようとしたもので 同様の石碑で平安時代以前に造られた現存するものは18例しかなく 歴史的に貴重なことから 国の特別史跡に指定されています。

「多胡碑」は 中央政府からの命令で上野国の3郡内から300戸を割き西暦711年に多胡郡と決め正当化したことを記念して建てられ建郡碑です。 笠石・碑身・台石で構成され 碑身の高さ129cm  幅69cm 厚さ62cmです。 碑文は縦書き6行の80文字で 次の如く刻まれています。 

     弁官符上野國片罡郡緑野郡甘
     良郡并三郡内三百戸郡成給羊
     成多胡郡和銅四年三月九日甲寅
     宣左中弁正五位下多治比真人
     太政官二品穂積親王左太臣正二
     位石上尊右太臣正二位藤原尊

文字を駆使して石碑を建てる文化は 飛鳥時代に中国や朝鮮半島からもたらされたもので 当地豪族の統治に多くの渡来人知識層が参画していたと考えられるそうです。

志賀島で発見された「漢倭奴国王」と刻まれた金印は 西暦57年に光武帝が倭奴国王に与えた印綬と考えられており この頃に日本は漢と正式な国交を結び 日本の指導部は漢字を介して漢の官僚と同レベルの語学力と文章力を持っていたと考えられますが しかしそれは対中国用で 日本国内において文字が普及し始めたのは4世紀頃に大和政権という国内統一国家が成立してからだそうです。

埼玉県行田市に稲荷山古墳というのがあり 発掘された鉄剣の両面に金象嵌の115文字が発見され大騒ぎになりましたが 銘文が刻まれたのは大和政権・雄略天皇の西暦471年と推定されており 5世紀末には大和政権の大権が北関東にまで及んでいた証拠となります。

このことを考えると 飛鳥時代(592〜710年)に入って文字の刻まれた石碑が多く築かれるようになったのは当然で 日本において文字が普及し始めた時代を考える上で面白いと 「多胡碑」を訪ねて思いました。

稲荷山古墳で発見された金象嵌の115文字については 私のブログ記事 稲荷山古墳(埼玉県行田市)の金錯銘鉄剣から解明された日本の古墳時代  を参照ください。
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多胡碑と多胡碑記念館のある「吉井いしぶみの里公園」 

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多胡碑覆屋 

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多胡碑記念館。 文字に関する資料が展示されている 

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多胡碑記念館に展示されている上野三碑(レプリカ) 

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多胡碑記念館に展示されている多胡碑(レプリカ) 

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18例ある文字の刻まれた古代の石碑・石塔のうち最古は宇治橋碑(646年築造) クリックして拡大視可 

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