白象の気まぐれコラム

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zoom RSS 吉原遊郭と投込寺(浄閑寺)を訪ね苦界に身を沈めた遊女たちの悲惨な人生を想う

<<   作成日時 : 2017/04/24 06:57   >>

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江戸時代に唯一の幕府公認の遊郭だった新吉原遊郭を訪ねました。 吉原の名称は 葭(よし)の生い茂る湿地を埋め立てて遊郭にしたので 縁起の良い「吉原」という文字に改めたものです。 

元和3年(1617)に現在の日本橋人形町付近に初めて開設された遊郭を 明暦3年(1657)の大火後に現在の台東区千束に移転したので 移転前の遊郭を「元吉原」 移転後を「新吉原」と呼びます。

新吉原の遊郭は 堀で囲まれており 吉原大門を通らないと客は中に入れず 遊女たちは 遊郭から脱走しないように 吉原大門の番所で監視されていました。

新吉原遊郭で 裕福な客は 引手茶屋にて遊女と遊びましたが ほとんどの客は 大通りから横丁に入った「張見世」と呼ばれる格子のある店の外から好みの遊女を物色し 中に入ったそうです。 

葛飾北斎の娘・応為の「吉原夜景図」を見ると 張見世で格子の外から格子の中の遊女たちを選ぶ様子が描かれています。 この絵は レンブラントを思わせる光と影の対比が見事で 葛飾北斎の娘ならではの傑作です。

遊女たちのほとんどは 生活に困窮した農村の親が娘を妓楼に身売りしたもので 全く自由のない厳しい生活を強いられた遊女たちは「苦界に身を沈める」ことになりました。 新吉原遊郭から歩いて5分ほど北に 投げ込み寺として知られる浄閑寺があります。 吉原遊郭で死んだ遊女の多くがこの寺に投げ込まれ埋葬されたことから 投込寺と呼ばれ 安政2(1855)年の安政大地震で無縁仏となった大勢の遊女を含め 約25000人の遊女が埋葬されたと伝えられています。 投げ込むと言っても 投げ込み同然ということで 妓楼は死んだ遊女にわずかばかりのお金を添えて浄閑寺に無縁仏として置き去ったそうですが・・・・。 

浄閑寺には 遊女たちを供養した「新吉原総霊塔」があり 台座には「生まれては苦界 死しては浄閑寺」と川柳作家・花又花酔が遊女たちの生涯を詠った句が刻まれています。

新吉原遊郭と浄閑寺を訪ね 昭和33年(1958)「売春防止法」成立で遊郭が廃止されるまで「苦界に身を沈めた」遊女たちの悲惨な人生を想いました。

上掲の写真は 吉原大門の外にある「見返り柳」で 大門を出た遊客たちは この柳のあたりで遊郭を振り返り 名残を惜しみながら帰途についたそうです。
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板葺き屋根付きの冠木門「吉原大門」のあった場所の表示

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1958年の売春防止法成立により廃止された吉原遊郭を記念して建てられた「花吉原名残碑」

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吉原遊郭の総鎮守を祀った「吉原神社」

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投げ込み寺「浄閑寺」

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浄閑寺にある花又花酔の「生まれては苦界 死しては浄閑寺」を刻んだ碑文

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遊女たちを供養した「新吉原総霊塔」

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葛飾北斎の娘・応為の「吉原夜景図」

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吉原遊郭から浄閑寺へ行く途中にある「樋口一葉記念館」

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樋口一葉記念館前の「たけくらべ記念碑」

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