白象の気まぐれコラム

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zoom RSS 駆け込み寺として知られる北鎌倉の縁切寺「東慶寺」を訪ねる

<<   作成日時 : 2017/05/15 06:43   >>

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上掲の写真は 鎌倉街道に面してある東慶寺の山門です。 東慶寺は 弘安8年(1285)に北条時宗夫人の覚山志道尼が開創したもので 開山から明治4年(1871)まで約600年間 女性の側から離婚できなかった封建時代に 当寺に駆け込めば縁切寺法で離縁できる女人救済の寺として広く知られていました。

後醍醐天皇の皇女・用堂尼が入寺してから 寺格の高い尼寺として松岡御所とも呼ばれるようになり 江戸時代には大坂落城の翌年の1616年(元和2年)に豊臣秀頼の娘の天秀尼が千姫の養女として東慶寺に入り、後に20世住持となっています。 その後 東慶寺は群馬県の満徳寺と共に幕府公認の縁切寺となっています。

鎌倉周辺には 鎌倉時代中期以降から室町時代前半にかけて丘陵山腹を穿って造られた「やぐら」と呼ばれる横穴式の納骨窟または供養堂が多く存在しますが 東慶寺境内にも後醍醐天皇の皇女・用堂尼や当山を開創した覚山志道尼の墓が「やぐら」として造られています。

東慶寺は 学者や作家の墓が多いことでも有名で 鈴木大拙 西田幾多郎 岩波茂雄 安倍能成 小林秀雄 出光佐三 和辻哲郎などの墓があるそうです。

私事になりますが 私がトヨタで課長だった時に 課員に「善の哲学」で知られる西田幾多郎(1870〜1945年)の曾孫(ひまご)にあたるお嬢さんが大卒の新入社員として配属され 父親が某大銀行の元常務で常陸宮親王妃・華子さんの親類(義兄)ということでした。 課員として扱いに配慮しなければならない難しいお嬢さんなので 当時の上司だった奥田碩部長に「なぜ選りによって私の課に配属したのか?」と聞いたところ 「お前が最も哲学的だからだ」と言われたことを思い出しました。

尚 私は昨年初に群馬県の縁切寺「満徳寺」を訪ね その時のことを 別ブログ記事 東慶寺(鎌倉)と並ぶ徳川幕府公認の縁切寺・満徳寺(群馬県太田市)を訪ね千姫(豊臣秀頼の正室)を想う に書いたので もし興味あれば覗いてください。
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参道

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本堂

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釈迦如来坐像

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「やぐら」として造られた後醍醐天皇の皇女・用堂尼の墓

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「やぐら」として造られた東慶寺を開創した北条時宗夫人・覚山志道尼の墓

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中央が豊臣秀頼の娘・天秀尼の墓石

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天秀尼の墓石と覚山志道尼の「やぐら」

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