白象の気まぐれコラム

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zoom RSS 内宮・宇治橋前の「おはらい町通り」を歩き江戸時代にお伊勢参りを大流行させた御師たちの活躍を想う

<<   作成日時 : 2017/06/18 07:11   >>

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上掲の写真は 伊勢神宮・内宮(皇大神宮)の玄関口となる宇治橋の鳥居前から五十鈴川に沿って約800m続く「おはらい町通り」で 伊勢特有の切妻・入母屋・妻入り様式の土産物店や旅館が軒を連ね お伊勢参り後に立ち寄る人気の高い場所となっています。

「おはらい町」は 内宮の鳥居前町としておはらい町通りの両側に栄えた町で 伊勢うどんや手こね寿司などの郷土料理店や真珠や伊勢茶などの土産物店が並び 江戸時代には参宮客が年間200〜 400万人も押し寄せたそうです。

江戸時代に「お伊勢参り」が大流行したのは 「おはらい町」に居を構えた「御師」と呼ばれる人たちが 日本全国から参宮客を集める活動をし自宅館で客人を泊めお祓いやお神楽でもてなしたからと言われています。

皇室の祖先・天照大御神を祀る伊勢神宮・内宮では 古代創建時に皇室以外の一般信者の参宮を許しませんでしたが 伊勢神宮の収入を税収以外に増やすために 鎌倉時代になると伊勢神宮の御師と呼ばれる下級神職たちが手分けして各地を回って武家や有力者の寄進を募るようになり 天下泰平の江戸時代になると 多くの御師たちが全国を飛び回って一般民衆にも伊勢信仰を浸透させ 「お伊勢参り」を大流行させました。

しかし 御師たちが活躍できたのは江戸時代末までで 明治4年(1871年)の神宮改革で神職の世襲制や御師制度などが廃止され 御師の館が連なる「おはらい町」は現在の料理店・土産物店・旅館を中心とする町に変容しました。 

御師の館では参拝客にお祓いやお神楽でもてなしていましたが 明治時代になると 御師に代わり内宮敷地内の神楽殿にてお祓いやお神楽で参拝客を一括してもてなしています。

内宮・宇治橋前の「おはらい町通り」を歩き江戸時代にお伊勢参りを大流行させた御師たちの活躍を想うと共に 時代と共に御師たちの役割が変わっていったことについて 感慨深く思いました。

ところで 伊勢神宮の外宮と内宮を結ぶ伊勢街道沿いに日本五大遊郭の一つとして有名だった古市遊郭が存在したことを ご存知でしょうか? 日本五大遊郭とは 大坂の新町、京都の島原、江戸の吉原 伊勢の古市 長崎の丸山で 伊勢の古市遊郭では 最盛期の天明(1781〜1789年)の頃に 妓楼70軒、遊女1000人という賑やかさで、「伊勢参り 大神宮にもちょっと寄り」という川柳が流行るほどに活気に溢れていたそうです。

古市遊郭が賑わったのは 伊勢巡礼で身を謹んでいた巡礼者の多くが 外宮・内宮の参拝後に「精進落とし」として遊郭に繰り出したからであり 江戸時代の「精進落とし」というのは色々な目的があったようです。
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おはらい町通り

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伊勢神宮「内宮」の玄関口となる宇治橋手前の鳥居

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宇治橋

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五十鈴川に架かる長さ100mの宇治橋

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正殿へ向かう参道

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五十鈴川の御手洗場

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神楽殿

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内宮の正殿

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内宮別宮で最も格の格い「荒祭宮」

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五十鈴川支流の島路川に架かる風日祈宮橋

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元寇に神風を吹かせた神を祀る「風日祈宮」

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御池

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