白象の気まぐれコラム

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zoom RSS 玄侑宗久著「禅的生活」を読み現在の状況を肯定し“日々是好日”とする禅の知恵を知る

<<   作成日時 : 2017/07/06 06:46   >>

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玄侑宗久著「禅的生活」を読みました。 禅僧で芥川賞作家である著者は この本の中で 長生きする禅僧が多いのは「拘りを捨てて現在の状況を肯定し日々是好日として生きている」からとしています。

犬猫などと異なり 大脳を持つ人間は 過剰な自我という煩悩により 愛憎 好き嫌い 自身を窮屈にしている記憶や固定観念に縛られて いつも苦しんでいますが 著者によると「拘りを捨てて現在の状況を肯定し日々是好日として生きる」ことは 禅僧でなくても 座禅をしなくても 「禅的生活」をすれば私のような俗人でも可能なのだそうです。

「禅的生活」とは 簡単に言えば 「禅的知恵を活用して 過去のことに拘ることは止め 先のことを色々と予断して心配することを止め 現在を肯定し今という一瞬を大切にして日々是好日とする」ことです。

過去のことに拘ると心穏やかに過ごせなくなる一例として 著者は面白い次の話を紹介しています。

あるとき老師と雲水が川縁を歩いていると ほとんど裸同然の女が溺れかかって助けを求めて叫んだ。 老師はすぐに雲水に声をかけ 二人で水の中に入っていって女性を抱き上げ 老師が両腕を持ち 雲水が両足を持って岸まで運び一命を救った。 用事を済ませて二人は道場に戻ったが 夕方になって雲水が老師の部屋を訪ね 悩ましげに聞くのだった。
「仏道修行の身で 裸の女性の肌に触れてしまったことは罪深くないでしょうか?」
すると老師は呵呵大笑して言った。
「なんだ お前はまだあの女性に触っていたのか。 ワシはとっくに離しているぞ」

これは極めて禅的な話で 解説しないで読んだ人の解釈に任せるべきですが 禅の心でこの話を読めば 川縁で起こったことは 溺れかかっている人を助けるという事態であり その役に徹した老師からみれば 溺れていた人は男でも女でもなく 過去のことより次々と移り変わる「今」に向き合うことの方が大切です。 雲水が 女性の肌に触って罪深いと思うのは 過去のことに未だ拘っている証拠であり 煩悩から離れられないのは 未だ修行が足りないからです。

先のことを色々と心配することを止めるべきというのは 人の世は思うようにならないのが当たり前なので 先のことを予断しても仕方ないということです。

心穏やかに毎日を過ごすために 過去に拘らず先のことを予断しないという心構えができれば 現在の状況を肯定し今という一瞬を日々是好日として楽しむことが大切という禅の考え方に帰結します。

日々是好日(にちにちこれこうにち)というのは 例えば「雨の日も 雪の日も 風の日も よい日と捉える」ことで 禅の世界では「悟りを開いた心境」だそうです。 

しょせん 人はこの身と心で生きてゆくしかないので それならいっそ ものの見方をがらりと変えて 「迷い」を吹っ切って「妄想」を払い もっと楽に生きるための思考方法を身につけてしまった方が賢明です。

玄侑宗久著「禅的生活」は 座禅しなくても 禅的知恵を理解すれば 心安らかに日々是好日として過ごせることを 煩悩の多い我々凡人に教えてくれます。

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