白象の気まぐれコラム

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zoom RSS 坂上田村麻呂が蝦夷討伐を記念して801年に創建した懸崖造りの「達谷窟毘沙門堂」を訪ねる

<<   作成日時 : 2017/07/17 06:23   >>

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上掲写真は 平泉中心地から南西約6kmの断崖(最大標高差35m 長さ約150m)に掘られた洞窟前に建つ懸崖造りの「達谷窟(たっこくのいわや)毘沙門堂」で 毘沙門堂西側の岩面には「岩面大仏」と呼ばれる磨崖仏が刻まれています。

達谷窟毘沙門堂は 征夷大将軍であった坂上田村麻呂が ここを拠点としていた蝦夷を討伐した記念として801年に創建したもので 現在の建物は1961年に再建されたものです。 「吾妻鏡」には奥州藤原氏を滅ぼした頼朝が鎌倉へ戻る途中でこの毘沙門天に立ち寄り参拝したことが記されています。

平安時代初期 中央政府の影響力の及ぶところは白河関(福島県)までで 白河関以北(奥羽・東北地方)は地元豪族(蝦夷)が割拠しており 中央政府は奥羽地方豪族達(蝦夷)を政権に組み込むために 坂上田村麻呂を征夷大将軍に任じ奥羽平定(蝦夷征伐)を図ったものです。 蝦夷の軍事指揮者アテルイ(阿弖流爲)は500人の兵と共に 坂上田村麻呂に降伏し 平安京で処刑されています。

北限の磨崖仏として名高い「岩面大仏」は 前九年の役と後三年の役で戦没した多くの兵士の霊を供養するため、源義家が馬上から弓で矢を放って彫り付けたと伝承されていますが 真相は不明だそうです。

昔は岩面の地面まで壁全体に磨崖仏が掘られていたそうですが 明治29年(1896年)の地震で胸から下部全体が崩落し 現在は胸から上の部分しか見ることができません。

達谷窟毘沙門堂は 一日フリー乗車券(400円)で平泉の観光地8か所を巡回する「るんるんバス」のルートに入ってないので 平泉駅から厳美渓に行くバスに20分ほど乗り途中下車する必要がありますが 必見の場所です。
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参道の3鳥居

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第2鳥居と第3鳥居

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断崖に掘られた洞窟前に建つ懸崖造りの「達谷窟毘沙門堂」

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達谷窟毘沙門堂

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毘沙門堂2階から鳥居方向を撮る

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毘沙門堂

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岩面大仏の前から撮った毘沙門堂

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岩面大仏

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岩面大仏

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不動堂

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金堂

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