白象の気まぐれコラム

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zoom RSS 19歳で早世した伊達政宗嫡孫の菩提寺・松島「円通院」にて慶長遣欧使節・支倉常長の無念を想う

<<   作成日時 : 2017/07/24 06:16   >>

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上掲写真は 松島・瑞巌寺の西隣にある仙台藩主初代・伊達政宗の嫡孫・光宗(二代・忠宗の次男)の菩提寺「円通院」です。 光宗は文武両道に優れていましたが 1645年に19歳の若さで江戸城内にて急死し その死を悼んだ父・忠宗により円通院が開創され 霊廟「三慧殿」が1647年に完成しています。

霊廟「三慧殿」の厨子の中には 白馬にまたがる光宗の像がガラス越しに祀られています。

光宗の死因については 病死説の他に 外様大名から名君が出ることを警戒していた幕府から恐れられ、毒殺されたという説があります。 光宗は 伊達政宗の嫡孫にして徳川家康の曾孫であり 徳川家光とは従兄弟なので 江戸城内で毒殺というのは考え難いのではないでしょうか?

三慧殿の厨子には 慶長遣欧使節・支倉常長が西洋から持ちかえった日本最古といわれる西洋バラや アカンサス、ガーベラ スイセン トランプカードの4マーク(ダイヤ クローバー ハート スペード)などの図柄が描かれています。

支倉常長は 幕府公認の基に伊達政宗により派遣された慶長遣欧使節団を率いた仙台藩士で その目的は スペイン国王に会いメキシコとの直接貿易の許可を得ることと ローマ教皇に会い仙台領内での布教のため宣教師の派遣をお願いすることでした。 目的を達っせられないまま出航から7年後の1620年に帰国したところ  日本は鎖国され禁教令が布かれていたので 表だって活躍できず 支倉常長は帰国してから2年後に失意のまま没しています。

伊達光宗が死んだのは 支倉常長が欧州から帰国してから20年後で 支倉常長がもたらした西洋の図柄などを幕府に内緒で光宗の霊廟・厨子に残し 厨子は伊達藩の秘蔵として3世紀半もの間公開されませんでした。

本堂(大悲亭)は 光宗が江戸納涼の亭として使っていた茅葺で寄棟造りの建物を解体移築したもので 本尊は 木造聖観世音菩薩坐像です。

円通院は 松島海岸から瑞巌寺に向かう参道を左に曲がってすぐの所にあり、山門が少々奥まったところにあるので見落としがちですが、支倉常長が西欧から持ち帰った日本最古のバラに由来する「バラ寺」としても有名です。 鎖国が続いた江戸時代に東北の地で支倉常長のもたらした西欧文化が幕府の目を逃れて眠っていたというのは いかにも伊達家の仙台藩らしい話で面白いと思いました。
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山門

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参道

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霊廟「三慧殿」

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三慧殿の中の厨子

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厨子の中に見える馬にまたがった光宗像

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約700年前の「洞窟群」

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本堂(大悲亭)

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本堂の本尊・木造聖観世音菩薩坐像

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