白象の気まぐれコラム

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zoom RSS 伊達政宗の霊廟「瑞鳳殿」両脇に建つ20人もの殉死者供養塔に驚く

<<   作成日時 : 2017/08/07 07:06   >>

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仙台の主な観光地を巡回するバス「るーぷる仙台」に仙台駅から乗り 先ず初めに瑞鳳殿を訪ねました。 荘厳にして極彩色に満ちた瑞鳳殿は 68歳で生涯を終えた仙台藩の藩祖・伊達政宗(1567〜1636年)の遺命により青葉山に連なる経ヶ峯に造営した霊廟(霊屋・墓所)で 杉木立に包まれた境内には 2代忠宗の感仙殿 3代綱宗の禅応殿もあります。

上掲の写真は 伊達政宗の墓所「瑞鳳殿」両側に建つ20人もの殉死者供養塔です。 政宗の死に際して 家臣15名と家臣に仕えた陪臣5名の合計20名が殉死し その供養を目的として石塔が建てられたもので 殉死者の墓(遺骨)は各家の菩提寺にあります。

江戸時代初期まで 殉死という風習があったので 政宗に殉死者が出たことは不思議でありませんが 20名という多さは驚きです。 殉死は 武士の美徳と伝えられ武家の風習として特異なものとなりましたが 必ずしも突きつめた感情からではなく 義理や慣例として殉じることも多かったそうです。 

徳川幕府は1665年の武家諸法度で殉死を禁じたので その後 殉死者は激減しています。

元禄15年(1702年)12月14日夜 江戸本所松坂町の吉良邸を襲って、主君浅野内匠頭の仇(あだ)を打ち切腹した47人の赤穂事件は 殉死が禁止されていた時代に主君への忠義を果たした殉死に準じる行為として称賛されたのではないでしょうか?

乃木希典は 明治天皇の後を追って1912年に殉死しましたが 明治天皇への忠義を果たしたというより 日露戦争の旅順攻撃で日本兵に多くの死傷者を出した責任を取って 死に時を選んだような気もします。
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瑞鳳殿の参道

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杉木立の参道

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涅槃門

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唐門

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瑞鳳殿

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瑞鳳殿

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2代忠宗の感仙殿と3代綱宗の禅応殿

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公子公女廟。 若くして死去した歴代藩主子女の墓

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