松方恭子編「妻におくった九十九枚の絵葉書~伊藤愿の滞欧日録」を読み感動

画像
写真上の本「妻におくった九十九枚の絵葉書~伊藤愿の滞欧日録」を 編者である松方恭子さんから思いがけず送っていただき とても嬉しく思いました。 松方恭子さんは 私が米国トヨタのニューヨーク事務所に1967年9月から1年間勤務していた時の上司、松方富士雄氏の夫人で ご夫妻には公私ともに大変お世話になりました。

「妻におくった九十九枚の絵葉書~伊藤愿の滞欧日録」(清水弘文堂書房刊)は 編者の父・伊藤愿氏(1908~1956)が欧米出張中 妻に出した99枚の絵葉書に書かれた文面を収載したもので 同氏が生前に書き残したものや雑誌などに発表したものも併せて載せられています。

伊藤愿氏は 旧制甲南高校 京都大学時代を通じ 登山界の第一線で活躍し パウル・バウアー著「ヒマラヤに挑戦して」の訳者としても知られる方です。 大学を卒業後 公文(高等試験行政科試験)にパスし中央官庁でエリートとして活躍され 1951年5月~11月にかけて6ヵ月間 戦後の日本国土再建情報収集のため欧米を視察しています。 

99信の絵葉書の中で スイスから夫人に書き送った8月5日の第65信は 次のような文面になっています。 

「このゼッセルバーン(牽道車)でグリンデルワルト(海抜約1000m)から海抜2168mのフィルストという所へ来て アルプ(山の牧場)の高山植物がジュータンをしきつめたところに腰をおろして この葉書を書いています。 ほんとに良い景色でマミや子供たちみんなを連れてきてやりたい。 ここからは メンヒが見えないだけで アイガー ユウグフラウ ウェッターホーンなど皆見えます。 きれいだよ」

伊藤愿氏は この欧米視察から帰国の5年後 1956年に48歳という若さで亡くなります。

松方夫妻は 結婚40周年にあたる昨年の夏にベルギーに住む長女家族と次女の総勢6人でスイストレッキング旅行に出かけています。 その際「スイスに行くなら 伊藤愿氏と同じ場所で写真を撮ろう」ということになります。 広大なスイスアルプスの山中で 56年も前の写真にある場所を探すのは大変困難なことでしたが スイスの美しいマッターホルンを背に山の中腹の花畑の中に座った嬉しそうな父の写真一枚を手がかりに登山ルートをしぼりこみ ツェルマットからツムットに抜ける山腹に 愿氏が座ったと思われるその場所ピタリのポイントをついに探し出します。

下の写真は 56年前に撮られた同じ場所を 次女・松方恭子さんと家族が探し当てたことを示す2枚の写真で 編集後記には その場所でご家族の皆さんが大変感激した様が詳しく説明されています。 この時の写真は その後 NHKテレビの「わたしの夏休み・写真コンテスト」に応募したところ 「トップ賞」に選ばれ放映されたそうです。

画像

56年前の伊東愿氏が写っているスイスアルプスの場所を次女の家族が探しだしたことを示す写真

「家族をスイスに連れて来たい」と第65信の中で書いた伊藤愿氏は その夢を実現できぬまま亡くなりましたが 家族が56年後に同じ場所を訪ね 父の夢をようやくかなえたということを「妻におくった九十九枚の絵葉書~伊藤愿の滞欧日録」を読んで知り 心温まる美談として私も感動しました。

尚 編者の夫・松方富士雄氏は エベレスト初登頂日本隊隊長などで知られた松方三郎氏の次男です。 松方三郎氏は 明治の元勲・松方正義の13男で 伊藤愿氏とは戦前から旧知の仲であり 伊藤愿氏夫人は正義の3男幸次郎の3女で 三郎氏の紹介で松方家から嫁いでいます。 ちなみに 「絹と武士」を書いたエドウィン・ライシャワー元駐日大使夫人・松方ハルさんは 松方正義の8男・松方正熊の次女です。 

画像

パウル・バウアー著・伊藤愿訳「ヒマラヤに挑戦して」(中公文庫)。 伊藤愿氏が京都大学の3年生だった時に訳したもので ヒマラヤ遠征を目指した学生達のテキスト的存在となった

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!

ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。

→ログインへ

なるほど(納得、参考になった、ヘー)
驚いた
面白い
ナイス
ガッツ(がんばれ!)
かわいい

気持玉数 : 12

なるほど(納得、参考になった、ヘー)
驚いた 驚いた 驚いた 驚いた 驚いた 驚いた 驚いた
面白い
ナイス ナイス ナイス

この記事へのコメント

2009年01月21日 21:08
今晩は。
こちらのページに再訪させて頂きました。
”華麗なる一族”ですね。
改めて、明治の元勲を出発点とする、日本のリーダーが多いことを感じました。
2009年01月22日 07:55
空さま
このページを再訪いただき有難うございます。

この記事へのトラックバック