国際文化会館の「樺山ルーム」と白洲正子さん

画像
写真上は 六本木にある国際文化会館の入口付近です。 9月14日のブログで取りあげた 松方恭子編「妻におくった九十九枚の絵葉書~伊藤愿の滞欧日録」 の出版記念会が国際文化会館の「樺山ルーム」で開かれるというので出席しました。 国際文化会館は 35年も前に私が結婚式を挙げた所であり それから一度も訪ねていなかったので 懐かしく思いました。 

国際文化会館は 三菱財閥の4代目総師・岩崎小彌太の岩崎家鳥居坂本邸が昭和20年5月の空襲で消失し 昭和30年に国際文化会館として生まれ変わったものです。 庭園は昭和5年に作庭された当時の姿を今も残しており 「名称 旧岩崎邸庭園」として港区指定文化財になっています。

国際文化会館が生まれたのは 日米交流の拠点を日本に設立したいと考えたロックフェラー財団のロックフェラー三世が1951年に訪日し 松本重治 高木八尺 松方三郎などに連絡を取ったことがきっかけになっています。 ロックフェラー財団と日本側の拠出金で国際文化会館を設立することになり 準備委員会の委員長に就任したのが樺山愛輔伯爵でした。

会館の土地建物資金として ロックフェラー財団が1億7千5百万円を拠出し 日本側が1億円を募金で集めることになります。 吉田首相の月給が11万円という時代に 日本側で1億円という大金を集めるのは大変むずかしいことでしたが 募金委員会の名誉委員長・樺山愛輔伯爵と活動を支えた松本重治 松方三郎などの尽力により 日本側は募金で1億円を集めることに成功します。

国際文化会館の一番広い部屋に「樺山ルーム」という名前が冠せられているのは 1億円を集める募金委員会の名誉委員長で(財)国際文化会館の初代理事長となった樺山愛輔伯爵を記念したものと考えられます。 樺山愛輔伯爵は白洲正子の父親であり 国際文化会館と白洲正子は「樺山ルーム」で繋がっていることになります。

尚 樺山愛輔伯爵を支えた松本重治の母は松方正義の四女光子であり 松本重治自身も松方コレクションで知られる松方正義の三男幸次郎の長女花子と結婚しています。 「妻におくった九十九枚の絵葉書~伊藤愿の滞欧日録」の編者・松方恭子さんの祖父が松方幸次郎  義父が松方正義の十三男・松方三郎であり 国際文化会館と松方家も深い繋がりがあることになります。

追記: この記事を書いて間もなく「樺山ルーム」は「樺山・松本ルーム」という名に変更されています。 変更するなら「樺山・松本・松方ルーム」にすべきだったと私は思いますが・・・
画像

国際文化会館の正面玄関


画像

庭に面している1階の部屋が「樺山ルーム」


画像

出版記念会が開かれた「樺山ルーム」


画像

庭園(三菱財閥の4代目総師・岩崎小彌太の岩崎家鳥居坂本邸庭園だったもの)


画像

池の向こう側に見えるのが35年前に私の結婚披露宴会場となった部屋で 今はレストランになっている。
  

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!

ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。

→ログインへ

なるほど(納得、参考になった、ヘー)
驚いた
面白い
ナイス
ガッツ(がんばれ!)
かわいい

気持玉数 : 2

なるほど(納得、参考になった、ヘー) なるほど(納得、参考になった、ヘー)

この記事へのコメント

この記事へのトラックバック