高知城を訪ね初代土佐藩主・山内一豊の妻・千代の“内助の功”を想う

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高知城の追手門から天守閣に向かう途中で初代土佐藩主・山内一豊の妻・千代と馬の像(上掲の写真)が目に止まりました。 山内一豊の妻・千代の“内助の功”については知っていましたが その銅像に馬がなぜ一緒なのか 傍らの次の説明を読み初めて分かりました。。

千代が差し出した黄金10枚のへそくり(持参金という説もあり)で名馬を購入した一豊は 主君・織田信長の馬揃えの際に目に止まり それが元で加増され 24万石の土佐藩初代藩主となる立身出世に繋がった。

戦国の武士にとって 名馬を持つことは戦闘の勝敗を分けるだけでなく 武士としての価値を高める誉となるので 信長の注目を得る”勝負時”と考え へそくりを差し出して一豊に名馬を買わせのは 千代の“内助の功”と言えます。

千代の“内助の功”だけで一豊が偉くなれたという訳ではなく 一豊が土佐藩主にまで出世した最大の理由として「小山評定」という有名な軍議があります。 一豊はその軍議で次のように行動しています。

山内一豊(1545~1605年)は織田信長の家臣であった秀吉に仕え 越前朝倉攻めで武功をあげ掛川城主となる。 1600年に五大老の徳川家康に従って会津の上杉景勝の討伐に参加し下野小山まで進軍した際に石田三成の挙兵を知る。 家康は諸武将を集めた小山評定で三成に味方するか家康に味方するかは武将それぞれの判断に委ねると伝える。 その場で山内一豊は、家康に味方し自分の掛川城を家康に提供すると真っ先に申し出たところ 他の武将たちも口々に居城の提供を申し出 家康支持で固まった。 家康は特にこの時の一豊の建議を、「古来より最大の功名なり」と激賞し 関ケ原の戦い後に一豊は四国一国を与えられ初代の土佐藩藩主・高知城城主となる。

天下分け目の戦いは「関ヶ原の戦」ではなく その前の「小山評定」にあったとも言えるので 小山評定という勝負時に建議した一豊の功績は大だったと思います。

山内一豊が立身出世した理由を考えてみると 妻・千代を含め 勝負時を知り思い切った大胆な行動をしています。 サラリーマンの人生でも 似た様な勝負時というのが必ずある筈ですが 私を含む多くの凡人は勝負時かどうかの判断さえ出来ずに定年を迎えてしまうのではないでしょうか?
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追手門

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かつての三の丸御殿の石垣

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天守閣

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天守閣

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本丸

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本丸天守閣からの眺め

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天守閣からの眺め

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この記事へのコメント

びこ
2019年09月04日 13:54
故郷の高知城を記事にしてくださり、ありがとうございます。

話は変わりますが、早いもので、明日は村形明子さんの三回忌ですね。私はお通夜もお葬式も行かせていただきましたが、今日のように暑い日でした。白象さんもお葬式に来られていらしたのでしたね。
白象
2019年09月04日 15:07
ピコさま
高知城近くのお生まれと初めて知りました。 村形さんのこと 今も時々思い出だしています。

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