富山城を訪ね戦国時代の城主・佐々成正の子孫で浅間山荘事件を指揮した危機管理のプロ・佐々淳行を想う

toyama1.JPG上掲の写真は 1954年に富山市郷土博物館として復元された富山城の天守閣です。 富山城が誕生したのは戦国時代の1543年(種子島に鉄砲が伝来した年)で 織田信長の武将であった佐々成正が越中一国を与えられて大規模な改修を行ったと言われます。

佐々成正(1536~1588年)の生涯を簡単にまとめると以下です。

織田信長の親衛隊という立場から数々の合戦に従軍して順調に出世を重ね、越中一国の領主となる。本能寺の変の後は上杉氏を越中から追い払いつつ、織田信雄、徳川家康に接近し関白秀吉と戦い敗北するが 領地は安堵される。 秀吉傘下で九州征伐にて功績を挙げ肥後一国を与えられるが 太閤検地に反発する肥後国人の一揆を抑えきれず、その責をとり切腹させられる。

佐々成正の子孫に浅間山荘事件(1972年)で指揮をとり その後 初代内閣安全保障室長となり 退官後はリスク管理の権威として知られた警察官僚・佐々淳行(1930~1988年)が居ます。 浅間山荘事件とは 連合赤軍メンバー(5人)が長野県軽井沢町の保養所「浅間山荘」に押し入り 管理人夫人を人質として 警官隊と銃撃戦を展開したものです。

佐々成正は 戦国時代を権謀術数で生き残った有能な武将でした。 しかし太閤検地に反発する肥後国人の一揆を抑えられなかったのは ある意味で危機管理に失敗したことになりますが その子孫となる佐々淳行が東大安田講堂事件や浅間山荘事件を指揮して危機管理のプロとして高く評価されたのは 歴史の皮肉に思えます。

佐々淳行は 87歳で老衰死したと報じられましたが 人生100年時代と言われていても 87歳で老衰死することがあるというのは 驚きでした。
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東大赤門と同じ構造の千歳御門

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富山城址公園から撮った富山城

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富山城

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外堀から撮った富山城

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佐々成正の子孫・故佐々淳行氏

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