徳川家光の日光霊廟「大猷院」にて家光の生母は江でなく乳母・福(後の春日局)という説を想う

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このブログ記事はコロナウィル感染騒ぎの前に書き溜めたものなので 誤解なきように! 上掲の写真は 日光の世界遺産に登録されている徳川三代将軍・家光の霊廟・大猷院(たいゆういん)で 後方に仁王門が見えます。 徳川将軍家の墓は 日光の東照宮に初代・家康 大猷院に3代・家光 東京の谷中霊園に15代・慶喜 他の将軍は寛永寺または増上寺にあります。

大猷院というのは 家光の法号です。 家光は祖父である家康を心から深く尊敬し 死後も家康に仕えたいという遺言により、4代将軍・家綱が家光の墓を東照宮の近くに建造したものです。 東照宮に比べて小規模で華やかさに欠けますが 建物は本殿、相の間、拝殿が国宝となっているほか、壮麗な二天門、竜宮城を思わせる皇嘉門(こうかもん)など見どころがたくさんあるので 日光を訪ねるなら東照宮だけでなく大猷院も見学すべきです。

蛇足ながら 家光の生母は二代将軍・秀忠の正妻・江でなく 乳母・福(後の春日局)という説があります。 福田千鶴は著書「春日局」(ミネルヴァ書房)の中で そのことを論証(傍証を積み上げた推論)しています。 詳しくは 2年ほど前の私のブログ(赤字部分をクリック)に取り上げたので もし興味あれば読んでください。

徳川家の正史では 長男の夭折後に 二代将軍・秀忠と正室・江が次男(長子)・家光と三男・忠長を生んだことになっています。 両親は出来のいい三男を可愛がり 次の将軍にしたいと願っていたところ 乳母・福(後の春日局)が駿府の家康に「安定した世の中になったので将軍職を長子に相続させないと家中に争いが起き乱れる」と直訴し 家康はそのことを聞き入れ 家光を3代将軍にしたと言われています。 福(春日局)が駿府の家康に直訴するといったことは 常識で考え難いので 家光は秀忠が福に生ませた子だから出来たと解釈できますし 秀忠と江が次男の家光でなく3男の忠長を次の将軍にしたいと願ったことも理解できます。

徳川三代将軍・家光の霊廟「大猷院」を訪ね 家光の父は誰か 巷の説を思い出しました。
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仁王門

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二天門

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夜叉門

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夜叉門の烏摩勒伽(うまろきゃ)。膝の象が膝小僧の語源と言われる

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皇嘉門

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唐門

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