ロシアと日本の統治下に50年間あった「大連」の市内観光

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写真上は 大連市街地の中心部にある中山広場(ちゅうざんひろば)です。 自動車道路の交差点が信号機のないロータリ(ランダーバート roudabout)形式になっているのは ロシアが統治していた時に作られた道路だからです。

中国・遼東半島の最南端に位置する大連は 1898にロシアが租借し都市造りを進めましたが 日露戦争後の1905年から40年間にわたり日本の支配下となりました。 従い 市内各所に残る道路・路面電車を含む多くの建造物は 長く両国の統治下にあったことを今も感じさせます。

大連市内の観光は Guided Day Tourと呼ばれる1日コースでしたが 3泊4日の滞在中に余った時間を利用して自分の足でも歩き回ったので 市内の「見どころ」をほぼ見ることが出来ました。 大連市内の見所として 今回 私が見て回った主な場所は以下です。 

労働公園 青泥窪街(遊歩道) 大連駅 中山広場 旧大和ホテル 旧満州鉄道本社ビル 旧満州鉄道病院 大連テレビ塔 大連外国語学園 星海公園 老虎灘海洋公園 旧日本人街 旧ロシア人街 大連ソフトウェアパーク 

50年もの長い間 ロシアと日本の支配下にあったので 大連市民は迷惑したと思います。 しかし その時に作られた病院・公共施設を含む多くの建造物が現存し市民の便に今も供されているのは救いです。

日露戦争に辛くも勝った日本は ロシアの植民地になるのを免れ ロシアに代わり旅順・大連の租借権を得ると共に 大連~長春の鉄道利権を得ます。 しかし そのことが後の満州国樹立→太平洋戦争→敗戦に繋がったので 日露戦争に勝って日本は本当に良かったのかとなると 難しい判断ではないでしょうか。

以下は 大連市内で私が撮った写真です。
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大連駅

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大連駅構内の列車時刻表

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私が泊まったスイスホテル大連(中央の建物)

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青泥街(遊歩道)の人たち

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労働公園。 中央高台のタワーは大連テレビ塔

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労働公園と大連テレビ塔を結ぶリフト

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旧満州鉄道本社

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溥儀や李香蘭も泊まった旧大和ホテル(満州鉄道の経営)。 1914年竣工の日本人建築家・田中毅によるルネッサンス式建築様式

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旧満州鉄道病院

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大連港(日本人が引揚げる際に利用した港)

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