「無言館」館主・窪島誠一郎が2歳の時に生き別れた父を探し作家・水上勉と知るまでを書いた「父への手紙」

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長野県上田市に 私は未訪問ですが 「無言館」という平成9年に開館した戦没画学生慰霊美術館があります。 第二次世界大戦中 志半ばで戦場に散った画学生たちが残した絵画・作品・愛用品などを収蔵、展示しており 館主は窪島誠一郎氏(1941年生)です。

毎週土曜朝に放送されているテレビ東京の番組「田勢康弘の週間ニュース新書」を終戦記念日の頃に見ていたら 無言館が取り上げられており 館主・窪島誠一郎がインタビューに答えていました。 その中で 窪島誠一郎が2歳の時に生き別れた実父が作家・水上勉であり 35歳と58歳の時に再会したと知りました。

水上勉(1919~2004年)は 福井県で大工の次男として生まれ 10歳の時に京都の寺に小僧として出され12歳で得度しますが そこを脱走し還俗したのち職業を遍歴しながら小説を書くものの なかなか認められず 女性との同棲・結婚・離別を繰り返します。 22歳のときに結婚するつもりもなく同棲していた女性との間に生まれたのが長男・窪島誠一郎ですが 肺病を患い生活が極度に困窮していたこともあり 籍を入れれぬまま2歳の時に手放すことになります。

養父母は2歳の時に貰い受けた誠一郎を入籍し実子として育てますが 本当の父母は別にいる筈と直感した誠一郎は 養父母に内緒で生父母探しを始め 35歳になった時に生父は作家・水上勉と初めて知り再会を果たします。

このような奇縁に私はとても興味を持ったので 関連する次の著作3冊を読んでみました。

A。 窪島誠一郎著「父への手紙」(筑摩書房) 初版1981年
B. 窪島誠一郎著「雁と雁の子;父・水上勉との日々」(平凡社) 初版2005年
C. 水上勉著「冬の光景」(毎日新聞社) 初版1980年

Aは 誠一郎が実父を探し出会うまでの経緯を書いたものです。 Bは 再会した後に過ごした父との日々を書いたもので 35年ぶりに再会した父子の対談も載っています。 

Cは 昭和15年に上京してからのことを詳しく書いた水上勉の私小説で 実際にあったことが殆んどその通りに書かれています。 この小説では 同じアパートに住む年上の女と結婚する意志もなく愛情もないのに強引に肉体関係を結び 子を妊ませてしまったところから始まり 生れた子を人手に渡すまでが書かれています。

水上勉は 誠一郎について 貰われて行った先で空襲にあって死んだと 戦後に聞いていましたが 35年ぶりに再会した翌年から この小説「冬の光景」を毎日新聞に連載しています。

窪島誠一郎は 実父・水上勉との交流を深める一方で 実母のことは決して理解しようとせず冷遇し 大恩ある養父母を毛嫌いし口をきくことさえ避けたので 批判もあるようですが 同年代の私としては その屈折した気持ちを何となく分かる気がしました。

父と子という異なる立場から書かれた上記の3冊は 「無言館」館主・窪島誠一郎と作家・水上勉の奇縁について知ることが出来る興味深い内容でした。 近い内に 無言館を訪ねてみるつもりです。

尚 水上勉は 本名をミズカミツトム ペンネームをミナカミツトム と呼びます。
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窪島誠一郎著「雁と雁の子;父・水上勉との日々」(平凡社)。 後姿からも二人は父子と分かります

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水上勉著「冬の光景」(角川文庫)

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この記事へのコメント

JO談
2009年09月16日 09:12
私自身も上田の無言館にはまだ行ったことがありませんが、同館収蔵の作品は4年半前に見たことがあります。
http://jo.at.webry.info/200503/article_10.html を
ご参照下さい。
白象
2009年09月16日 14:58
JO談さま
貴ブログの「無言館」記事を読みました。 2005年に無言館の展示が東京駅で開催されたとは知りませんでした。
hm
2009年09月17日 14:46
03年頃でしたか、NHKのドキュメント放送で、無言館を紹介する番組がありました。芸大の同級生を戦地で亡くした、画家の野見山暁治氏の、彼らの鎮魂のために遺作を集めて展示する場所をつくりたいという発案に共鳴した窪島氏が、遺族を探し出し作品の収集に情熱を注いでいる姿を追ったものです。それを見て私は2度無言館を訪ね、東京駅ステーションギャラリーでの展示会にも行きました。この放送をきっかけとしたのか、そのころ窪島氏は、「徹子の部屋」などいくつかのテレビ番組に出て脚光を浴びた?時期があります。
前後して「父への手紙」も読みました。水上氏と窪島氏が実の親子とは知らないで対面していた、などまさに“事実は小説より奇なり”を地で行くドラマチックな話で感動しました。窪島氏は、実母に会った時、10歳の子供がコブシで母親の胸を殴りながら泣きじゃくるような感情の発露が意識下にあったのではないか、母親も懐にわが子を抱きしめたい衝動が同様にあったのではないか、だけどもはや冷たい他人にしか見えない母親、わが子を“捨てた”罪の意識をもつ実母にはそれができない、そんな複雑な二人の心の葛藤を私は感じました。
私も知りませんでしたが水上、窪島両氏の再会は、当時(1977年)の新聞で報道されていたんですね。
追記・窪島氏が飯田市の遺族を訪ねた上記ドキュメント放送にでてくる、戦死した画家の孫娘が、その後無言館で働いており、私が訪ねたときにもその姿をみましたが、現在はどうでしょうか。

前後して、
白象
2009年09月17日 21:02
hmさま
コメントを有難うございます。水上、窪島両氏が再会した当時 メディアで色々と取り上げられていたようですね。 近い内に私も無言館を訪ねるつもりです。

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