日本兵捕虜たちが米軍の秘密尋問所「トレイシー」にて日本の軍事機密を全て暴露したのは何故か?

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「トレイシー」というのは 太平洋戦争で捕虜となった日本兵を尋問する目的でカリフォルニア州バイロン・ホット・スプリングスに設立された米軍施設「日本兵捕虜秘密尋問所」です。 1943年から45年までの間に太平洋各地で捕虜になった日本兵の内 日本軍の重要機密情報を持ち米軍に役立つと判断された2342の日本兵がこの場所に移され尋問を受けています。

写真上の中田整一著「トレイシー・日本兵捕虜秘密尋問所」(講談社)は ワシントンの国立公文書館で公開されている尋問内容の内部文書を調べると共に 現地や関係者の取材を重ねてトレイシーの実態を詳しく紹介しています。

(ジュネーブ協定に違反する)盗聴のための装置が仕込まれたこの場所にて2342人の日本兵捕虜を尋問した回数は10,387回で 米軍に役立つと判断された1718件の報告がワシントンに送られています。 尋問を通じて米軍が入手した情報は 暗号などの軍事機密だけでなく 日本人の心性、文化、風習、天皇観、戦後日本の統治方法などを含む広範囲のものです。 

米軍の尋問官が最も驚いたことは 日本兵捕虜たちが協力的で尋問官の質問に答えて「トレイシー」にて日本の軍事機密を何でも積極的に話したことです。 戦陣訓にある「生きて虜囚の辱めを受けず 死して罪禍の汚名を残すこと莫れ」の如く教えられた日本人捕虜たちが軍事機密を進んで証言するとは考え難いことですが 著書は日本兵捕虜の心理がどのように変化し協力する気になったのかを次の如く書いています。

日本の軍事指導者は「戦陣訓」という時代遅れの認識である軍律が米国との科学的近代戦の中でどのような事態をもたらすのか想像すらできなかった。 捕虜たちは死を恐れ 戦闘中に手を上げて降伏したのではない。 その多くが戦場で砲弾に傷つき傷病に倒れ あるいは撃沈・撃墜された戦艦や航空機から奇跡的に米軍によって救助された兵士たちであった。 不運にも生き残って捕虜となったのである。 日本軍には「投降」という言葉はなかった。 「投降」は不義不忠の代名詞であり国家に対する反逆であった。 さらに日本兵は 万一捕虜となった場合 どう対処するのか 尋問で何を話してよいか あるいは話していけないのか その基準もなく教育も受けていなかった。 日本兵捕虜のほぼ全員が自虐的となり 自己の良心と闘わねばならず 心理的には常に不安定な状態に置かれることになった。 このような場合 人間は強い道徳的 感情的なプレッシャーを受けると狂信的行為や自己破壊に陥りがちである。 このため 尋問官たちは捕虜の心理を十分に把握したうえで 確かな洞察力をもってかれらを扱った。 日本兵の頑なさを理解して アメリカに有益な情報を彼らから得ていった。

長い引用となりましたが 戦陣訓にある「生きて虜囚の辱めを受けず」の如く教育を受けた日本兵が捕虜になった途端に手のひらを返すように協力的とになり自国の軍事機密を進んでしゃべってしまったのか この説明を読み理解できました。 

捕虜となった日本兵の多くは 捕虜となって生きているという恥辱から 日本政府や家族に自分が捕虜であることを通知しないように望んでおり 自らの意思で祖国と家族との絆を断ち切った日本兵捕虜たちは「生ける屍(しかばね)」といった状態にありました。 これに対して米軍尋問官たちは、決して威圧的な態度は取らず 打ちひしがれた日本兵の心を解きほぐすために友好的な態度で接しています。 捕虜と尋問官のこうした関係から  多くの日本人捕虜が重い口を少しずつ開くようになったようです。

戦争を有利に闘うために 捕虜というのは大切な情報源であり 米軍は日本人捕虜から得られた日本軍の軍事機密をうまく利用して日本との戦いを有利に展開し 戦後の日本を上手く統治することにも成功しています。

中田整一著「トレイシー・日本兵捕虜秘密尋問所」を読み 戦争に勝つために「情報」がいかに大切かを教えられました。 

尚 この本は 別記事 民放テレビ報道番組最優秀賞に輝く「日本兵サカイタイゾーの真実~写真の裏に残した言葉~」を見て想う に書いたテレビ番組でも紹介されていました。

この記事へのコメント

abc
2010年09月10日 06:48
戦争の日本人捕虜でなくとも、今の日本の政治家や、司法、検察など重要な部分は統治されて、日本はみじめです。軍隊は無くてよければ、それに越した事は有りませんが、どこの国でも費用のかかる軍隊を持つという事はそれだけの価値があるからでしょう。
白象
2010年09月10日 07:06
abcさま
コメントを有難うございます。 戦争放棄という憲法下で自衛の為に軍隊を持つ是非は難しい問題ですね。

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