皇女和宮が京都から江戸へ行くのに東海道でなく難所の多い中仙道経由としたのは何故か?

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写真上は JR信越本線「横川駅」から歩いて5分ほどの所にある中山道の碓氷関所跡です。 過日 廃線となった旧碓氷線の軌道上に造られた遊歩道・アプトの道を碓氷第三橋梁(めがね橋)から横川駅まで5.1km歩いた際に寄ってみました。

中山道の碓氷関所は 東海道の箱根関所と共に 江戸幕府にとって最も重要な関所として知られています。 碓氷関所は1616年 江戸幕府によって設置されたもので 関東入国の関門として 「入鉄砲と出女」を厳しく監視したそうです。 

中山道は 皇女和宮が将軍家茂に降嫁した時(文久元年 1861年)に 京都から江戸まで行くルートとして東海道でなく中山道を選び 25日間で到着したそうですが 本体だけで1500人ものお供を連れて1日平均24kmも籠に乗るのは大変だったのではと思いました。

碓氷関所跡には資料館もあり 皇女和宮が中山道を通ったことを含め面白い資料が色々と展示されていました。 展示資料を見ながら 皇女和宮は 海辺の多い楽なルート「東海道」を選ばずに 距離も長く山坂の多い難路「中山道」をなぜ選んだのか ふと疑問に思ったので 帰宅してからネット情報を調べてみたところ 次の理由が挙げられていました。

・東海道は川が多く、川止めなどにより日程に変化が生じ易い。
・東海道は旅人の往来が多く、警備上問題がある。
・東海道にある薩埵峠(さった峠)は「去る」に通じ婚姻には縁起が悪い。


和宮と家茂の縁組には 反対する過激な尊王攘夷派の志士も多く 警護上の理由から中山道を選んだというのが 一番の理由だったのではないでしょうか?

碓氷関所跡にある資料館の展示を見て ふと疑問に思ったので 解明してみた次第です。
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碓氷関所の東門

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碓井関所跡

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関所跡にある通行人が頭を下げて手形を置いた「おじぎ石」

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JR信越本線「横川駅」前にある「峠の釜飯」で知られる明治18年創業の荻野屋本店

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