司馬遼太郎が俗化を嘆いた曹洞宗大本山「永平寺」を訪ねて同感

画像
1244年 道元禅師によって開創された曹洞宗の大本山・永平寺(福井県吉田郡永平寺町)を初めて訪ねました。 永平寺は 閑静な山間に主要な伽藍として法堂・仏殿・僧堂・庫院・山門・東司・浴室の七堂伽藍を配しています。

普通なら参拝者は山門を通り境内に入りますが 永平寺では山門を通らずに入口となる通用門から回廊で繋がる七堂伽藍の中に入り庭を歩かずに順路に従い通用門に戻り外へ出るので 庭から伽藍を見て写真を撮ることが出来ません。

上掲の写真は 七堂伽藍の中で最も有名な山門で 参拝者はどこからも山門正面を撮れないので ネット上に掲載されている写真を転用しました。 山門は 総欅(そうけやき)造りの唐風の楼門で 幅18m弱、奥行き約9mの二階建てで 1749年に改築された永平寺最古の建築物です。 修行僧が入門を乞う際の玄関で 厳寒の2月に何時間も待たされた末、厳しい禅問答のテストが行われ 1度入門すると下山するまで山門から出られません。 通常は住職のみが通れる神聖な門となっており 参拝客は山門から出入りできません。

永平寺を訪ねるのは 私にとって今回が初めてで 出家参禅の道場として四方を山で囲まれた深山幽谷の霊域(境内の敷地約10万坪)を想像していましたが 観光客でごったがえしている有様を見て失望しました。

司馬遼太郎は 1980年10月に永平寺を訪ねていますが 余りにも観光名所として俗化し団体客が多いので 恐れをなして早々に退散したと 著書「街道をゆく 越前の諸道」の中で次の如く書いています。

私は昭和24年(1949年)に永平寺を訪ねたことがある。 下界からの訪問客はなく まことに雲水の道場として清規(禅宗の道場で修行僧たちが守るべき日常生活の規則)が守られている感じで 山も谷も人も清澄であるような印象があった。 しかし近頃は バスにより団体観光客を誘致していて 団体客の多くは 永平寺を見て芦原温泉で宴会をするようになっている。 今回(1980年10月) 永平寺に近づくと 団体客で路上も林間も鳴るようであり 恐れをなして門前から退却してしまった。

今回 私が永平寺を訪ねたのは 司馬遼太郎が恐れをなして退却してから37年後であり 更に団体観光客が増え俗化が進んだので 私が観光客でごったがえす有様に失望して当然と思いました。 

道元禅師が曹洞宗大本山「永平寺」を開創した頃は 只管打坐(しかんたざ 余念を交えずひたすら座禅すること)による修行を中心とする小規模の寺でしたが  道元の弟子で第三世・義介が道元の考え方とはかけ離れた中国式の大伽藍主義をとり 豪奢もって教団の存在を顕示し俗化主義に陥ったそうです。

今 私たちが500円の拝観料を払って永平寺で見るのは 道元の面影ではなく三世義介の残像です。
画像

永平寺の入口

画像

通用門

画像

回廊からの眺め

画像

傘松閣の天井画

画像

中雀門

画像

回廊

画像

仏殿

画像

承陽門

画像

浴室付近から撮った山門

画像

吉祥閣

画像

唐門

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!

ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。

→ログインへ

なるほど(納得、参考になった、ヘー)
驚いた
面白い
ナイス
ガッツ(がんばれ!)
かわいい

気持玉数 : 2

なるほど(納得、参考になった、ヘー)
面白い

この記事へのコメント

sirouto
2017年10月05日 09:25
昔、京都の苔寺を見たことがありますが、最近は、苔保存のためにか 事前予約の少数しか入れなくなったようで、全く見ることがでなくなりました。近くの鈴虫寺は観光客で混雑。いずれも宗派歴史は全く知りませんが、方針の違いがはっきり。
白象
2017年10月08日 07:23
siroutoさま
コメントを有難うございます、

この記事へのトラックバック